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「パートナーにうんざり。もはやあきらめしかありません」というご相談
いわば夫婦間の価値観の相違だとか、時には不倫や浮気問題でもそうなんですが
声には出さずとも、パートナーに対して
「なにこの人!」「いい加減にして!」「もう勝手にすればいいわ!」
なんて気持ちになることがあるようですね。
パートナーの言動や考え方に呆れ返ってしまったり、不倫や浮気をするパートナーにウンザリしたり、なんてお話を伺うことも少なくないんです。
そこで「もうパートナーのことはあきらめました!」なんてお声を伺うことがあるんです。
もちろん夫婦問題に限らず、恋愛でも同じですけどね。
まぁパートナーにウンザリして、もはやあきらめしか感じない。
そこには悲しみも、悔しさも、自分って一体何なんだろう?という疑問も巻き起こるでしょう。
同時に、パートナーへの怒りも湧き出して、まぁ気持ちが収集つかなくなりやすいんですよね
だから「あきらめ」を使って
「パートナーのことは考えませんよ」「もうどうでもいいですよ」
といった態度を取るしかないこともありえる話だと思うんですよね。
ただ、心の面から見つめると
「あきらめ」には一定のデメリットがあり、あきらめとよく似た「手放し」とは違う性質があるんですね。
そこで今日のコラムは「あきらめ」と「手放し」の違いについてカンタンに解説していきたいと思います。
よろしければどうぞ〜。
「あきらめ」と「手放し」の違い
さて、「あきらめ」と「手放し」の違いは、「目的が違う」という部分にあると僕は考えています。
「あきらめ」とは
「あきらめ」とは、いわば自分の感情に蓋をしている状態といえます。
「何かしらの相手に求める気持ちや、自分の本当の願いに蓋をして、それらが意識に上がってこないように押さえつけている状態」
とも言えますね。
だから、あきらめることで
「自分の欲求や望み、相手への期待などを感じなくていい分だけ、これ以上失望しないという意味で傷つかないような気がする」
というわけです。
ただ、この状態は「自分の望みや本当の気持ちをあきらめること」にもつながるものです。
とはいえ、「あきらめ」という選択がダメなわけじゃないんです。
場合によっては「あきらめるしかない」「あきらめないと辛すぎる」という状況もありえるわけです。
一時的にあきらめることでしか対処できない悲しみ、苦しさもある、ってことですね。
むしろ、納得してあきらめられるなら、それは手放しに近いものになるでしょう。
ただ、「あきらめたくない気持ち」がまだ強いのに、「あきらめよう」とばかりすると、自分自身が葛藤しやすくなる、と言えそうです。
「手放し」とは
「手放す」とは「放免」「解き放つ」といった意味合いです。
※手放しについての解説は次の記事にもありますので、こちらも参考になさってくださいませ。
これは、具体的に「パートナーを手放す」という意味でも使われますが
感情レベルでは「抱え込んでいる感情を解放する」という意味合いでも使われます。
例えば
「執着している元カレ」を好きなまま嫌いになろうとする。
「許せないパートナー」のことをあきらめた。
この状態は「手放しているわけじゃない」のです。
そもそも感情面での手放しとは、相手ではなく、自分の感情について向けられるものです。
例えば、「パートナーを手放す」という選択をするとしても
「パートナーを許す」としても
まず向き合う対象は「自分の気持ち」なんですね。
パートナーに「あっちにいけと言う」だとか、「パートナーを無理やり受け入れること」などは、自分の気持ちを扱っているわけではないから、手放しが進まないんです。
もちろん、今の自分の気持ちがブレブレであっても、定まっていなくてもいいんです。
それにはきっと事情があり、整えるべき感情がある、ということだから、まずは抱え込んだ気持ちを解放(手放す)ことを考えていくといいんですね。
すると、徐々に葛藤が少ない状態に近づいていけます。
が・・・なかなかそれが理屈どおり進まないことが多く、難しいわけですなぁ。
手放したくとも、あきらめが強まることも多い
例えば、「パートナーの裏切りでざっくり傷ついた私がいる」としましょう。
すると、その心の傷が癒えるまで、怒りやら恨みやらあきらめの気持ちは手放せないわけです。
と同時に、自分が傷ついていることを受け入れようとすることもまた苦しいわけですよ。
だから、例えば
「私はパートナーのせいで傷ついた!」といった被害者になることは多くの場合容易にできることなんです。
一方、自分が感じる痛みと向き合うことはなかなか勇気がいることです。
悔しい、悲しい、ムカつく、情けない・・・
さまざまな気持ちが溢れてくるので、なかなか自分の気持ちを向き合うことが辛くなるんですよね。
つまり、あきらめという気持ちは
「私が可哀想な人間だとか、被害者になりたくない」と思いながら
しかし
「パートナーの裏切りで感じる感情もまた苦しくて受け容れることができない」と感じるときに登場するものだろう、と僕は考えています。
ただ、僕もカウンセラーですから
「もし自分が傷ついたのであれば、その心の手当が必要だと思いません?」
なんてご提案はさせていただくわけでございます。
今、抱えている感情を解放して、整えて、を繰り返すことで、自分を向き合えたり、未来のことを考えられるようにもなっていきますしね。
あきらめにはなく、手放しにはある「選択」
さて、もし「あきらめ」にはなく、「手放し」にあるものがあるとしたら
それは「自分自身の選択」です。
あきらめは選択肢を消すことがある
「あきらめ」が「自分の感情に蓋をすること」を意味してるなら
おそらく、自分の望みも、希望も、夢も、可能性にさえも蓋をするということになりかねないんです。
僕たちの感情って一部だけを抑えることができないもの。感情そのものを抑えることになるんですね。
つまり、「あきらめ」を強くすればするほど、その後の選択って「あきらめしかない」という状態になりやすいんですね。
例えば、「今のパートナーとの幸せをあきらめた」としたら。
次のパートナーを作っても「また諦めることになったら辛すぎる」と思う可能性は大ですよね。
また、次のパートナーとの関係がより良いものであればいいけれど、散々なものであったならめっちゃ凹みますし、自分を疑っちゃいますよね。
だから、「私だって幸せになりたい」という気持ちがありつつも「もういいわ、男なんて(女なんて)」と思いやすくなり
あきらめがついて回り、自分の望む選択をすることが難しくなりやすいのです。
手放すことはそれ自体が選択
一方、手放しとは、そもそも「手放すこと自体が選択の結果」なんですね。
例えば、彼を手放すか、手放さないか、というお悩みがあったとして、
自分をあきらめていれば「手放せない」し、彼をあきらめていれば「あきらめないと虚しい」となりやすいもの。
しかし、自分の感情を整えつつ「なにかを手放す」としたら・・・。
それは別れるという選択(彼を手放す)であっても
別れないという選択(彼を愛する)であっても
それ自体が自ら選択したことになりますよね。
この選択の中に手放しはあるもので、「手放さなきゃいけない」でも、「手放すべき」という手放しはないんです。
要は、「自分がどうしたいかを決める」ってことなんです。
感情の解放が手放しにつながる
これは自分自身の感情についても同じようなことが言えますよ。
例えば、パートナーの裏切りで傷ついたとしてね。
そこで感じる感情を受け容れて癒やすか、受け容れないか。
これも選択なんです。
今、自分がとても悲しい気持ちになっているとしてね。
悲しみを受け容れて涙や言葉で消化していくか。それとも受け容れず耐えるか。
これも選択なんです。
感情は受け容れて行くことで消化できる性質があるものなので、受け入れる選択をするとスッキリしたり、気分が整っていきます。
ただし、この話は「無理やり悲しんだり苦しむこと」を意図しているわけじゃありません。
辛いなら辛いという気持ちが湧き上がってくることを止めないこと、のようなイメージで、辛い気持ちを抱えて耐えろ、って話ではないのです。
むしろ、辛い気持ちと向き合うなら、できる限り丁寧に、かつ安全な場所で、信頼できる人に話を聞いてもらったり、カウンセラーなどと共に行うことが前提の話だと思ってくださいね。
最後に
いかかでしたでしょうか。
あきらめと手放しの違い、少しでもご理解いただけたなら幸いです。
なお、今日のコラムでは
「日々湧き上がってくるネガティブな考えや、それに付随する気持ちの取り扱い方」
までは書いておりません。
実はこのあたりの気持ちの取り扱い方も、あきらめを少なくし、手放しを選ぶためにとても重要なことなのです。
が、その話はまた別の機会にお届けしますね。
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