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「相手の変化に執着する」なんてこともあるんですよ、実際。
今日は執着についてのコラムです。
僕たちはなにかに執着してしまうことがありえるわけですが、その執着の対象が「相手の変化だとしたら」という話。
これだけだと「なんのこっちゃ」という話だと思うので、今日も淡々とコラムを書き続けていきたいと思います。
よろしければどうぞ。
※執着という言葉に関する解説は次のコラムにもありますので、よろしければ参考になさってくださいね。
執着しているものが「相手が変わっていってしまう」ということならば
例えば、最近別れた相手に執着してしまう、という状況があったとすると。
僕たちはどこかで、相手に執着しているとか、終わった関係に執着している、と考えるかもしれませんね。
他にも、不本意ながら長年努めた会社を退かねばならず、未だ執着が拭えないとしたら。
そこでは仕事であったり、会社というものに執着し、なかなか手放せないと認識することもあるかもしれません。
実際に、そういったケースもあろうかと思います。
が、僕たちが執着する対象が「相手の変化」である場合も少なくないのですね。
例えば、別れた相手の気持ちが変わっていってしまうことが嫌で、どうか変わらないでいて欲しい、と願ってしまったり。
退いた会社が変化しながら存続し続けていくことに、モヤモヤしたり、イライラを感じたり。
それはまるで
自分がよく知っていた人が、どんどんよく知らない存在になっていくような。
自分自身が馴染んでいたものが、いつの間にか形を変えてしまうような。
寂寥感(寂しさね)を伴うような相手の変化と自分の気持ちのあり方にギャップが生まれたとき。
自分を変えるのではなく、相手に変わらないでいて欲しい、自分が知っている存在であってほしいと思うことがあるようです。
それが一つの「執着」になることもあるようなんですね。
相手の変化に執着しているとき、自分は何も変わっていないように感じる
さて、もし執着しているものが「相手の変化」だとしたら。
そのとき、「自分は何も変わっていないように感じる」ことが多いでしょうね。
場合によっては
「相手やその何かが自分と関わりのないところでどんどん変わっていくことを止められないでいる」
そんなふうに感じることもあるでしょう。
例えば
あれだけ長い間一緒にいたパートナーが他の人と過ごすようになっていく、とか。
あれだけお互いに信頼できた恋人や仲間が、どんどん自分を忘れていくような。
会社を退いた途端、会社が全く違う遠い存在のように感じたり。
このとき
「変化していく相手を眺めながら、取り残されているのは自分を感じる」
なんてこともザラにあることかもしれません。
それはとても切ないことであり、人によっては受け入れがたいことかもしれませんよね。
本当に怖れているのは「自分が変わってしまうこと」
ただ、相手の変化に執着し、相手の変化を恐れているとき
実は「自分が変わってしまうこと」を怖れていることが多いのです。
もし、自分が変わってしまったら・・・
そうです、相手の変化など、何かしらに執着する必要がなくなってしまうのです。
でも、何かしらの事情で
今だけ、もう少しだけ
相手のことや、もう終わったことを思い出してその記憶に浸っていたいという気持ちがあるならば
自分自身の変化を受け入れることを拒むだろうと僕は思うのです。
それぐらい自分にとって大切な人との関わりや、貴重な経験を積んでいるならば、そんな気持ちになることもあるよね、と思うことがありますよ、僕は。
実際は「自分が何も変わっていないわけではない」のです
ただ、実際のところ、といいますか、少し客観的な視点でこの状態を眺めてみると
「自分が何も変わっていないわけではない」
ということが少なくないようです。
少しだけ現実的な話をすれば、相手だけが変わっていくということはあまりなく、自分もまた相手と同じように変化していたり、変化していく余白を持っていることが多いのです。
例えば、パートナーと別れたなら、相手からすれば「こちら(私)もまた別の誰かを好きになっていくように変化する」と見えるかもしれません。
会社を退いた人を思い出して「今、どんな新しい人生を歩まれているのだろう」と想像する元同僚や上司がいても不思議ではありませんよね。
人から見れば、こちらも何も変わっていないというわけではないのです。
ただ、何かしらの事情で
「自分も変化しているということを受け入れることができない」だとか。
過去の記憶や感情の中に浸り込んでしまうとしたら。
自分自身が変化していることや、自分のプロセスも時間とともに前進している実感が得られなくなってしまうこともあるんじゃないかと思うのです。
何より切ないのは「置いてけぼり感」
また、相手の変化に執着して自分の変化を実感できないとき。
何より切ないのは「置いてけぼり感」を強く感じることかもしれません。
当の本人の実感として、自分が変わっていない、取り残されている、と感じる分だけ
相手がどんどん変わっていく、自分が知らない存在になっていく、そして自分は取り残される、といった感覚を感じることもあると思うんです。
この切なさったらね、言葉で語り尽くせないほどの切なさなんですよ。
無情とも、空虚とも言えるような気持ちになることがあるかもしれません。
ただこの感情も(できれば感じて解放しておきたいところですが)、自分も変化しているし、これから変化していくんだという実感がないから起きることではないか、と僕は思うのです。
「相手の変化」に執着するのではなく、共に変化していく喜びを模索しよう
人間、親しみのある人やよく知っている何かが変わっていくさまを見ると、切なくなるものでしょう。
例えば、数年ぶりに生まれ育った街に帰ったら、その様子が変わっていた、という状況があったとしたら。
その変化を楽しんだり喜ぶ人もいるでしょうが
「あぁ、自分が知っていた街がもうなくなった」と感じる人もいるかもしれない。
そこで「自分が知っていたものがなくなり、変わってしまった」と感じるならば、どこか昔の自分がなくなったような気分になったりして、切ないものですよ。
ただ、生まれ育った街が変化したこの数年間の間で、自分自身のプロセスも進んでいるはずなんです。
繰り返しになりますが
変わっているのは自分の外側だけじゃない。自分自身も同じなのです。
もし、どこかで丁寧に自分を見つめ直し、取り戻す時間を作って(ステマ的にカウンセリングのアピールをしています)
「この数年の間で自分も変わった(成長した)よな」と思えるなら。
「どんな人も、どんな物事も変わっていくものだ」と思えるかもしれません。
それは恋愛でも仕事でも同じことで。
相手が変わっていく姿を追いかけている自分もまた、昔とは違う自分になっているのです。
だから、究極的には「お互いの変化に気づき、それを承認したり喜べる」ほどに
「相手の変化」に執着してしまう自分の中にある何かしらの感情に気づいて、それを解きほぐして、癒やしていけるといいですよね。
最後に
自分が変わっていないように感じるのは、まだ「変わりたくないと思う理由」が存在するからだとしても。
そんな理由もやたらめったら批判的に見るのではなく
「そっか、そう感じているんだ、自分は。だから相手の変化が嫌なんだ。」
と思えていくならば。
そして、自分も変化していることも素直に受け入れられるならば
お互いの変化を受け入れて、自分の道、そのプロセスを前を向いて歩いていけるものなのかもしれませんね。
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