恋愛の心理学

私なりに努力していること、頑張ったことを、「知っている」と「認める」はちょっと違う?

心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。

さて、今日は新幹線の中からブログ更新中。久々に名駅ホームできしめんをいただいたら美味しくて!

しかし、ほっこり温まりすぎてちょっと暑いかも(笑)新幹線の中はやはり暖かいですからね。

それでは今日のコラムです。

よろしければお付き合いください。

 


私なりに努力していること、頑張ったことを、「知っている」と「認める」はちょっと違う。

いろんなお話を伺う中で僕はそう思うことが少なからずあるんですね。

また努力していることを、認めてほしいと、認める、もちょっと違うと思うんです。

例えば、いわゆる謙虚・遠慮がちな方、一人で物事を背負ってしまうパターンのある方の中には

「私なりの努力のプロセスや結果を、どこか放置してしまう」

そんな癖のようなものがあるって場合がありますね。

例えば・・・

私なりにできることをやっている。

しかし、その私の努力、行為に自信があるかと言えばそうではない・・・と感じる。

そもそも、私が努力しても周囲の反応はそれほど良くない(ように見える・・・「投影」)

だから、自分の努力はあまり意味がないし、ありふれたものだと思うようになる。

でも、あなたの心は「認めてよ」「見てよ」と言った声を上げるから、ちょっと不満感がある。

でも不満感を感じていること自体、あまり良くない、わがままだと思っているので我慢する。

結果、報われない感覚がして、「私が努力していることを認める」ことを放置する。

なので、周囲の人のが「すごいね」「頑張ってますよね!」「素敵!」といった承認の声をあげても、「いやいや・・・」と反応したり、人によっては「私の何が分かるっていうの?」と怒りを感じる。

かといって、周囲の人から、何も承認されない環境にいても不安や不満を感じる。

だけども、また「不安や不満を感じている私が未熟、恥ずかしい」という意識から、それを隠して、またやるべきことと向き合うことを始める。

そんなループの中で、いつしか「私って何なんだろう・・・」という感覚を覚えるようになる。

だから、パートナーがいれば、パートナーに期待しないし、パートナーのたまの承認も「ふん!」って感じで一蹴することもあれば。

もううんざりして「放っておいてほしい」「一人にしておいてほしい」と思うようにもなる。

しかし実際は、放って置かれることも嫌で、意外と寂しがり屋なので、結局また満たされない気持ちを感じる・・・。

一例ですが、こんな心の動きを感じている方もいらっしゃるかな、と僕は思うんです。

誰かのために、やるべきことを、努力する。

コレが悪いことだなんて言ってしまったら、人を愛することやその気持ち自体を否定しまうことになるので、僕はそう思いませんよ。

ただ、どこかで私が努力していることを「知って」いながら、それを認めない、意味がないという「あなたの価値判断」が強いと、どうしても承認欲は増大するのに、承認されても受け取らない、なんてことが起こりえます。

大事なのは「自分を認める」ということに慣れること。

自己承認・・・・自分って頑張ってきたね、と慰めるんではなく、本当に価値あるものだというふうに見ること。(※このセッションは僕のセミナー・カウンセリングの中でよく登場するものの一つです。)

稀に、そこで、調子に乗る、人をマウンティングする、自分の力を証明することに躍起になる人もいるかもしれませんが、それはあくまで「人との比較の中で自分を肯定しようとしている」という部分の延長線にしか無いのかな、と僕は思います。

ま、つい悪気なくそんな気分になってしまいますけどね。

それぐらい、私が努力していることを知っている、と、実際に認める、は違う。

僕はそう思いますよ。

だから、カウンセリングに来て、物は試し、その経験をしてくださいね、なんてお話をします。

大抵の方は「んーどうなのそれ?」と思われるようですが(僕も昔はそう思っていましたけどね)

実際に取り組んでみた方は「そういうこと・・・・私、確かに私のことを認めてこなかったってわかりました」といったご感想をいただくこともありますよ。

それぐらい罪悪感の罠(自分を認めないようにする作用)にハマらず、疑いつつも自分を認めていく作業は、癒やしのプロセスとしてはとてもパワフルなものだと僕は思います。

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