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「わたしは必要とされない」という気持ちとその問題
「わたしは必要とされない」
「恋愛や結婚をしたいけど、わたしはきっと必要とされない」
「必要とされないと感じることが嫌だから、恋愛も仕事も苦手」
さまざまな「わたしは必要とされない」という気持ちがもたらす問題・悩み。
そもそも「わたしは必要とされない」と感じるだけで苦しいものでしょう。
ただ、「わたしは必要とされない」と感じていることがさらに大きな罠をもたらすことがあるのです。
今日はそんな「わたしは必要とされない」という気持ちがもたらす問題と、その抜け道に関して考えてみたいと思います。
よろしければどうぞ。
「わたしは必要とされない」という気持ちとは
「わたしは必要とされない」という気持ちは、心の痛みと、罪悪感、そして他者への依存心(期待)によって成立していることが多いですね。
罪悪感とは「わたしはダメな人間だ」という感覚をもたらすもの。
だから、「わたしは必要とされないのだ」と感じるわけです。
※罪悪感に関する詳しい内容は次の記事でまとめていますので、よろしければご覧ください。
ただ、その状態のままではあまりに苦しいもの。
だから、「わたしは必要とされない」と感じている人ほど
「わたしを必要として欲しい」という欲求を強く感じやすいわけです。
その影響から
- すべての人から認められる自分になりたい
- 人の役に立つ自分になれば、必要とされるようになる
こうした思いを強く持つようにもなりやすいのです。
もちろん人の役に立つことや、人から認められる存在になろうとすること自体、問題だとは言えないと僕は思います。
が、その動機が「必要とされない」という気持ちであれば
これは「自分がどう生きるか」「何に関与(コミットメント)するか」という動機ではないことになります。
よって、自分自身がどう生きていったらいいか分からなかったり、自分が何者なのかがよく見えなくなってしまう人も出てくるのですよね。
他者からの評価で自分の価値が決まってしまう
「わたしは必要とされない」という気持ちが強くなると
- 「誰かに必要とされる自分でなければ意味も価値はない」
- 「自分の価値は、他人が決めるもの」
そう感じやすくなります。
つまり、誰かに必要とされたくて
「仕事を頑張る」「パートナーのために頑張る」「自分の意見を言わず相手に合わせる」
などの補償行為が続く状態となりやすいのです。
ここには「わたしは必要とされない」という気持ちを、他者の評価や承認で打ち消そうとする気持ちが生じるからです。
※補償行為に関する解説は次の記事にありますのでよろしければ参考にしてくださいね。
ただ、「誰かに必要とされたい」と思っている自分を責める必要はないんですよ。
そこを否定しても問題は解決しづらいので要注意です〜。
「わたしは必要とされない」という気持ちがもたらす本当の罠
さて、「わたしは必要とされない」という気持ちがもたらす本当の罠についてのお話をしましょう。
実は「わたしは必要とされない」という気持ちを抱え続けていると
頑張っても、人に与えても、どれだけ実績や経験を積んでも、「わたしは必要とされない」という気持ちが拭えなくなることがあります。
実はですね。
「わたしは必要とされない」という気持ちを抱えながら日々頑張っている人って、結構なパワーがあると僕は思っているんですね。
いわば
「逆風にさらされながら、平均的な、いやそれ以上の結果を出している人もいる」
そんなイメージなんですよ。
だから、実際に結果を出せていたり、人から評価を得られる場面に出くわすことが少なくないようです。
ただ、どれだけ成功しても、他者からの客観的な評価を受けても
「他者との対等な関係構築やありのままの自分を認めることなどが難しい」
という問題が残るのでしょう。
このあたりが、これはかなり孤立感、自己否定感を深める要因になるんですよね。
何をしても「これでいい」と思えない。
今はいいけれど、いつか他者(外側)から「ダメだ」「意味がない」と言われるような気がする。
そんな気持ちが続いてしまう場合もあるのです。
その結果、
毎日頑張っているんだけど
結果も出しているんだけど
人のために与えているのだけれど
いつまでたっても「わたしは必要とされない」という気持ちが消えない。
そんな話を伺うことって、実は稀ではないんです。
「わたしは必要とされない」と感じる理由を探る
さて、ではどうして「わたしは必要とされない」と感じるようになるのでしょうか?
例えば、親子関係などを見つめて「誰にも愛されなかった、求められなかったという経験」によって生じる、と考えることができます。
ただ、実際に「誰にも愛されず必要とされてこなかった」という辛い経験を積んだ方だけが「わたしは必要とされない」と感じて悩むわけではないようです。
むしろ、人に愛された経験もある、友達もいる。パートナーがいる方もいれば、仕事もきちんとしている。
今では親との関係もそんなに悪くはない。
けれど「わたしは必要とされない」と感じてしまうケースも存在するのです。
これは
「自分自身の実感として一度も『ありのままの自分』が求められたと感じた経験がない」
ということを示していることが少なくないんですよ。
ここでは「本当に実感したことがない」のか
「実感することを自らが拒絶しているのか」の違いはあるんですけどね。
どこかで
「人から求められているのは、他人に向けて作り上げた無難で嫌われないわたし」
という意識が強いまま、ある意味孤独を抱え、自分を隠す意識を強めているのかもしれない、という話です。
この自分を隠す意識が強いと、たしかに「わたしは必要とされない」と感じやすくなるのです。
自分自身が自分を隠しているのだから、どの自分に向かって人の評価や愛が向いているのかわからなくなってしまいますからね。
とはいえ、影響が大きいのは親との関係
ただ、たしかに「親」から、一度も(ほどんと)「ありのままの自分」を認められたり、愛されたり、受け入れてもらったことがないのであれば。
その影響はとても大きいものになりますよ。
例えば、幼い頃から、
- 自分の気持ちや考えよりも、親の機嫌や都合を優先にしないと怒られた
- どんな理由で親が突然怒り出すか分からず、一人で恐怖を抱えて我慢していた
- 普通に過ごしているだけで「ダメ出し」をされたり、自分の態度や言動などを否定され続けた
なんてことがあるなら、子供は「ありのままの自分じゃいけないんだ」と思いますからね。
このような親子関係に起因する影響はやはり大きいものだと言えると思います。
「わたしは必要とされない」という気持ちとその問題を卒業する方法
実はこの「わたしは必要とされない」という気持ちを手放すことを、どこか難しく感じる方も少なくないんですよね。
その理由は
「わたしは必要とされないと感じている自分を隠しておかないと、さらに必要とされないような気がする」
と感じる場合が少なくないからです。
要は、「わたしは必要とされない」と感じている自分を人に見せたら、「さらに必要とされなくなるのでは?」と感じているということです。
ただ、この気持ちを手放すためには
ありのままの自分を受け入れ、その自分との人との関わりを実感するプロセスが必要となる場合が多いのです。
しかし、「これ以上必要とされないと感じるのは嫌だ」という疑いが生じやすいので、「ありのままの自分」を表現したくとも、大きな抵抗感を感じやすいわけです。
だから、どこか作られた、他者から望まれる、無難な、ハズさない、周囲に波風を立てない自分を選択して表現してしまうんです。
それぐらい「わたしは必要とされない」という気持ちが手強いものでもあるのです。
「わたしは必要とされない」という気持ちを受け止めてみる
ただ、「わたしは必要とされない」と感じていることを、まず自分で(どこか客観的に)受け止めることができると
「わたしは必要とされないと思い続けてきたんだな。これをゆっくりとでも変えていきたいな」
といったふうに思いやすくはなるでしょう。
逆に「わたしは必要とされないと感じている自分を責めたり嫌う」と、なかなか「この気持を手放したいな」と思いづらくなるかもしれません。
ハッキリ言っておきますけど「わたしは必要とされない」と感じることはダメなことではないですよ。
それによってあなたの客観的な価値が決まるわけではありません。
ただ、そう感じることによって、自分をオープンにできず、自分が好きなこと、関わりたいこと、主体的に取り組みたいことに関われず、躊躇してしまう。
その影響で、より自分がよく分からず不安を感じやすくなってしまうのでしょう。
だから、まずは今の自分を(客観的にでも)受け止めてみるといいと思いますよ。
一人で抱え込む必要はないと考えてみる
「誰にも必要とされない」という孤独。
その状態で「自分のことが信じられないという気持ち」とも向き合わなければならないのは、あまりに辛いことではないでしょうか。
これって、自分を右からも左からも攻められているような状態だと例えられそう。
さすがに「多勢に無勢」的な感覚が出てきても不思議ではなさそうですよ。
だから、こんなときはいわば「援軍」があってもいいと僕は思うんですよ。
ここでの援軍とは「支援」であったり「味方」を求めることになると思うんですけどね。
特に自分の素直な気持ちを話せる人との関わりは重要でしょうか。
実は僕もかつて同じ悩みを抱えていて、ここから始めて今があるのですよね(^^;。
相手の感情は相手が決めると理解する
さて、ここからはある程度癒やしに取り組んで、気持ちの面での余裕が出てきてからの話です。
「わたしは必要とされない」という気持ちを手放すなら
「自分の気持ちの決定権は自分にある」
「他人の気持ちの決定権は他人にある」
そうしっかり理解してみることをおすすめします。
相手の気持ちをこちらが決めるなんてことは難しいことですしね。
要は「必要とされたい」と思っても、相手が必要とするかどうかは、基本、相手次第だと考えてみること。
こちらが「必要とされたい」と思おうが思わなかろうが、あなたのことを必要とする人は必要とするし、しない人はしないかもしれない。
その上で、相手の心をどう動かすか、ってことが考えられるわけです。
いわば「自分が何を表現することで相手に良い影響が届くか」を考えたほうが気持ちも楽になりますからね。
ここには、なかなか気づけない「人の気持ちをコントロールしたい欲求」があることに気づいて手放せると楽になれますね。
ありのままの自分を認めよう
で、極めつけは「ありのままの自分を認めること」です。
まずは自分が、今の自分を、です。
別に自力に拘る必要もないんですけど、今の自分が「今のありのままの自分」なので、その自分を責めずに受け入れてあげることから始めるといいと思います。
要は心の根っこに「そのままの自分じゃダメなんだ」という気持ちが強く残っていることで、孤独感や孤立感を感じるわけです。
だから、ダメじゃねーよ、それでいいんだよ、と言ってあげる。自分にね。
僕的には「必要とされたい」と思う自分ですら、ダメじゃねーよ、と思うのですよ。
そう思うには理由があって、そう思わざるを得ない事情があったんでしょう?と。
そこを他人がとやかくいう必要はないし、自分でも否定する必要はない。
そこから丁寧に自分を受け止めて、よくよく知ることです。
そして、もし「あなたはダメじゃねーよ」と言ってくれる人がいるなら、その人に感謝して、その人の言葉を信じてみることです。
このような「人との出会い」はかなり大きな影響をもたらしますよ。
だから、この相手はそこそこ信頼できる相手を選んでほしいんですよね。
ここでは自分を助けるというより、とりあえず認め直して立て直す、ようなイメージになることが多いです。
だから、苦しんだ自分を助けてあげようというイメージよりは、「そもそもさ、自分は自分でいいじゃんか」と受け入れていくイメージで扱うことを僕はおすすめしたいですね。
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