今日のコラムは「見返りを求めたくなる心理」と「見返りを求めない自分になる方法」についてまとめています。
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「人に見返りばかり求めていてはいけない」
そんな言葉を聞いたことはないでしょうか。
恋愛などでは
「相手に愛されることばかり求めたり、見返りを求めて優しくしたってうまくいかないよ」
なんて話が取り上げられることもしばしばありますね。
だから
「見返りを求めるなら、それは愛していないのだ」
なんて風に言われることもあります。
僕としては「見返りを求める=全く愛していない」といい切ることはできないのですが
しかし「見返りを求める気持ちが強い」のであれば、何より自分がつらいかもしれませんよね。
そう。
自分でもつらいとわかっていても、それでも見返りを求めたくなるから困るんですよね。
だから、見返りを求めてしまう多くの方が
「見返りを求めないでいるほうがきっと自分も楽なはず」と思われているようです。
Index
見返りを求めてしまうのは「私の気持ちは届かない」と思うから
ではまず、「どうして見返りを求めてしまうのか」について考えてみましょう。
多く「見返りを求める気持ち」は「私の気持ちは届かない」という感覚や思い込みから生じているといえるでしょう。
一般的に「見返りを求める人」って「損したくない人」「自分のことしか考えていない人」と理解されがちですよね。
なぜなら、見返りを求めたくなる時点で、なにかしらの不足感や満たされていない感覚を覚えているはずだから。
たしかに見返りを求めている時点では「自分のことを意識している」に違いはないでしょう。
が、どうして「損する」だとか「自分のことしか考えられなくなる」ということが起きるのか?と考えてみると。
その答えは「私には欲しい物が手にはいらないと思いこんでいるから」となるのです。
つまり
「私には望むものが手に入らない」「愛されない」「大切にされない」
そのままの自分では何も得られない、と思い込んでいる可能性が高いのです。
今の私がどれだけ願ったって欲しいものは手にはいらない。
私の気持ちは誰にも届かない。
そんな「無価値感〜私にはきっと価値がない〜」という感情を感じている、と解釈できます。
つまり、見返りを求めてしまうのは「私の気持ちは誰にも届かない」という思いから生じている可能性が高いのです。
自分の気持ちをごまかしていると見返りを求めてしまう
さて、見返りを求めてしまう人ほど
実は「自分の気持ちをごまかす癖」を持っていることが多いのです。
恋愛で言えば、本当は寂しいのに寂しくないと伝えたり。
付き合う人を選ぶときも「好きな人」より「〇〇な人を選ぶほうが幸せになれるんじゃないか」と考えすぎてしまったり。
友人と食事に行く際、本当は今、食べたいものがあるのに「なんでもいい」と伝えたり。
本当は気乗りしないのに、自分から何かをしてあげたり。
心理的には「自己犠牲」と呼ばれる、本当は望んでいないことを自分の気持ちをごまかして受け入れていることが多いのです。
「自分がしたいからする」ができない
多く、このような自己犠牲を続けている方ほど
「自分がしたいからする」ということできない場合が多いのです。
もちろんどんな人にも好むこと、望むこと、したいことがあるはずなのです。
そしてそれが実現できないなんて、やはり切ないこと。
しかし、本当に望むものを望んでも、それが手に入らずに深く傷つくと感じるとしたらどうでしょう?
「だったら最初から望まないほうがいい」と考えてしまう人もいるでしょう。
それぐらい「私の気持ちは誰にも届かない」という思いこんでしまっている方も少なくないのです。
だから、
「一番好きな人とは付き合わない」「好きなことは仕事にしない」
そんな信念を持っておられる場合もありますよ。
ただ、このような「自分の気持ちをごまかす癖」は、自他共に「人に対する配慮・遠慮」として理解されることがありますよ。
どこか肯定的に捉えられていることが少なくないのですね。
そして、「本当に望むことを望めずにいる」という悲しみを、誰にも気づかれないまま過ごしている方が多いのですね。
だから、普段は「自分には何もない」と思いこんでいるほうがマシなのです。
そして、大切な人との間で、恋愛で、結婚生活の中で、強く見返りを求める気持ちが溢れてくるのです。
見返りを求める気持ちは「私の気持ちに反応してくれている証がほしい」ということ
多く、見返りを求める人の気持ちは
「今の自分では好かれない、愛されない」という思いが強くなっているものです。
だから「今の自分でもいい」と思えるような努力をされる方が多いのかもしれません。
もちろんそれも間違った選択ではないと僕は思います。
ただ、そもそも「今の自分では好かれない、愛されない」と思う気持ちこそ
「私の気持ちに誰も反応してくれない」
「私が誰かを思っても誰も喜んでくれない」
そんな経験から生じていることが多いはずなのです。
その結果、相手の気持ちや見返りを求めたり、期待してしまうのですね。
いつから見返りを求めるようになったのか
では、この
「私の気持ちに誰も反応してくれない」
「私が誰かを思っても誰も喜んでくれない」
といった思い、一体いつ、どこで手に入れてしまった(学習した)のでしょうか?
多くは子供の頃に手に入れてしまうのです。
例えば、生まれたばかりの頃、僕たちはそのままで愛されていたわけです。
しかし、成長するにつれて、親に怒られたり、厳しく育てられた方もいらっしゃるかもしれません。
親は親なりの思いを持って子供に接しているのでしょうが
例えば、いい子でいるときだけ認められたり、褒められたり。
自分なりに良かれと思ってしたことで叱られたり。
親や家族のことを子供なりに心配しても、なにもできなかった、ということが続くと
「自分の思いは伝わらないんだ、自分がいても意味がないんだ」
そんな思いを学習していくことがあるんです。
言い換えるなら
あなたは家族や親を愛していなかったわけではないのですが
その関係の中で無力感や無価値感を学習することになった、という話です。
だから、
「自分の行動や思いに反応してくれる誰かが欲しくなる」
と感じるようにもなるのです。
だとすると、見返りを求めてしまう人が本当に求めているのは「見返り」というよりは
「誰かが私の思いに反応してくれている証」
だということになります。
そしてそれが手に入っている実感があるならば、見返りを強く求める気持ちは手放せるわけです。
見返りを求めないようになる方法
では、どうすれば見返りを求めないようになれるのでしょう?
そのためにできることがありますので、少しご紹介したいと思います。
自分自身の価値を認める
どこかで「誰かが私の思いに反応してくれている証」を欲し、自分は無力で無価値な存在だと感じるのは
「自分の価値を感じられていないこと」が根本的な原因になっています。
だから「自分で自分のことを認めること」効果的なのです。
例えば、毎日コツコツ少しづつでいいので、自分ができたことを認めていくといいでしょう。
今日部屋の掃除をした、ご飯を作った、職場でこの仕事をこなした、など些細なことでもいいので、認めるという意思を持って取り組んでみるといいでしょう。
見返りを求めていた自分を許す
もし、いままの自分が人に見返りを求める傾向があったとしても、そこにはきっと事情があるのです。
また、人は完璧な存在でいられるわけでもないのです。
だから、今までの見返りを求めていた自分を嫌う必要はないのです。
ある意味で「それは仕方がなかったことだ」と自分を許して受け入れてみてください。
なお、「どいつもこいつも見返りをくれない」「私のことなんてどうでもいいんだ」という怒りや嘆きがあるならば、その感情は人にぶつけないほうが得策です。
カウンセラーにはいくら話していただいてもいいと思いますが、現実社会でその感情を他者にぶつけてもあまりいいことはないのです。
そんな感情も含めて「今までの自分のあり方」と否定せず丁寧に扱ってあげてください。
誰のことを思い続けてきたのか、その気持ちを知る
もし仮に、あなたが子供時代に「無力感や無価値感を学習した」のであれば
それは一体誰のことを思っていたから、学習したのでしょうか?
つい見返りを求めてしまうというみなさんにぜひ覚えておいてほしいことは
「あなたが見返りを求めてしまうのは、それぐらい誰かのことを大切に思っていた過去がある」
そんな場合が少なくない、ということなのです。
今、あなたが見返りを求めてしまうのは、それこそ
「私が相手にとって意味ある、価値ある存在であってほしい」
そう願うからではないでしょうか。
だとすれば、あなたが本当に許すべきは
「自分自身が届けようとしてきた真心や愛情」なのです。
自分の中にある素晴らしい気持ち、そしてそんな思いを抱いている素晴らしい自分なのです。
つまり、今までつい見返りを求めてしまっていたのは
「私はあなたのお役に立っていますか?」
「私はあなたの幸せに貢献できていますか?」
そんな自分を確認したくなっていたのかもしれません。
だからこそ
「私は誰のことを大切に思ってきたのか」を思い出し、その自分を承認することが重要なんですね。
そんな素晴らしい自分を探し出せれば、ゆっくりと着実に自分を許すことができるでしょう。
その結果、得られるものは「私は私で大丈夫」という感覚。
ここまで自分を整えれば、見返りを求める気持ちはそんなに強く感じないようになることが多いようですよ。
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