恋愛の心理学

「なんとかする」と覚悟しても「どうにもならないこと」と向き合ったなら

自分を嫌う女性

「なんとかする」と覚悟しても、どうにもならない現実と出会ったら

長くカウンセリングをさせていただいておりますと

いわば「どうにもならない現実」を前にして辛いお気持ちをお抱えになっておられる、という方もいらっしゃるのではないかと思うのです。

そのような方ほど「今が辛い」とはなかなかおっしゃらない(おっしゃれない)のかな?と勝手に推測していたりしますけれど。

僕たちは、その成長プロセスで、困難を自ら「なんとかする力」を身に着けているものなんですよね。

それはまさに努力や試行錯誤の結晶、と言えるものだと僕は思うのです。

そして、自ら身につけた「なんとかする力」を使い、目の前の出来事を乗り越えていくことで、いわば「自信」を深めていく側面もあると思うのです。

それは僕たちの成長にとって重要なプロセスだとも言えます。

が、しかし、時に(できれば起きてほしくないことかもしれませんが)

自分自身が身につけてきた「なんとかする力」だけでは、どうにもならない現実と出会うこともあるようです。

特に僕の場合、お仕事のお話や、ご家族のお話、またご自身や大切な方のご健康にまつわるお話、そして恋愛、夫婦にまつわるお話として伺うことが多いでしょうか。

そして、その「どうにもならないこと」を目の前にして、大変にお辛いお気持ちを抱えておられる方とお会いすることがあるといえばある、わけですよね。

そこで今日は

「なんとかする」と覚悟しても「どうにもならないこと」と向き合ったなら、というテーマでコラムを書いてみます。

※今回のコラムはあえて「恋愛」を切り口ににしていますが、その他のお悩みでも同じ考え方が使える場合があります。

よろしければお付き合いください。

「なんとかする力」こそ「自信の拠り所」になることが多い

僕たちは、その成長プロセスで、自らの力で自分自身の人生を、そして時には目の前の困難を「なんとかする力」を身につけていくものなんですよね。

様々な選択や、様々な経験の中で、時に困難なこと、時に未経験なことと出会い、その現実と向き合って乗り越えていくプロセスの中で、僕たちは「自信」を獲得していきます。

それはまるで「自分は自分でいいのだ」「自分はちゃんと生きていける」「困難を乗り越えられる力がある」と感じられるようなもの、とも言えます。(ときどき自信過剰や自分を過信してしまうこともありますけど、それはそれとして・・・。)

そして、その「なんとかする力」を実感するプロセスで

僕たちは「自分でエネルギーを注ぐ対象を決めていく」わけです。

これ、心理学の言葉を使えば「関与」となると思いますが、要は「自分がどのようにして生きていくのか」「何を実現して生きていくのか」を、迷いの中から決断し、自分から積極的に関わっていくわけです。

それは、仕事も、恋愛も、自分自身の生き方も、ときには家族やコミュニティとのつながりなどにおいても全て同じことが起きているのでしょう。

自分で選び、自分で決め、その道を歩む。

この感覚が養うものこそ「自信」なんですよね。

(心のジャンルではそれを「私達の男性性的側面」と呼ぶこともありますけどね。まぁ分かりにくい表現なのでその辺は今日は扱わずにおきましょうか。)

もちろん自分で選んで決めていても、その道を歩んでいても、根強い罪悪感や無価値感の影響で自信を感じられない場合もあるのですが。

恋愛でも仕事でも「私がなんとかする」といく覚悟を持つ人達

僕自身、あらゆる方から様々なご相談をうかがわせていただいているわけですが

その中に

『恋愛でも仕事でも「私がなんとかする」といく覚悟を持つ方』がいます。

いわば、地に足をつけて、自分が選択した道、決めた道をしっかり歩んでおられる方、ですね。

それは仕事でも、キャリア形成でも、恋愛、夫婦関係でも同じでしてね。

恋愛や結婚で言えば、自分でパートナーを選び、愛すると覚悟して生きてこられた方がいる、ということ。

それはとても価値あることだと言えると僕は思います。

それでもうまく行かない関係がやってきたとしたら

ただ、このように

「自分で選び、愛すると覚悟してきた」からこそ

その関係がこじれてしまったり、終わってしまうという現実を前にすると

その関係がもう終りを迎えつつあっても、しかし「自分の力でなんとかする」ということを諦めきれず、自分が傷つきすぎてしまったり。

「関係が終わってしまった」という現実が、痛烈な自己否定感として跳ね返ってくる場合があるようです。

それは「自分で決めた」「自分が愛すると覚悟した」という意思や気持ちが大きければ大きいほどに、です。

この時感じる、無力感、失望感は、もはや言葉や文字では表せないほどに苦しいものだと僕は思うのです。

それこそ「自分で決めた」「自分が愛すると覚悟した」という意思や気持ちが支えていた「自信」そのものを突き崩すような状態になるから、なのですけどね。

だから、「私が全て間違っていたのだろうか」と自分を否定的に見つめすぎてしまったり。

時には、「何も間違っていない、こんな現実は受け入れられない」と、起きた現実を受け入れられずに苦しまれることもあるかもしれません。

(もちろん現実がそうであっても、その方の価値は変わらないのです。が、渦中にいらっしゃるときほど、なかなかそう思えないものかもしれませんね。)

例えばこんなケース

ここで、少し想像していただきたいんですよね。

例えば、このような方がいたと仮定しましょう。

Dさん(仮名)は「自分の意志でパートナーを選び、愛すると覚悟し、ずっと共に行きていくこと」を強く望んでいました。

今まで恋愛もで安易な妥協はせず、ちゃんと相手を見て決めてきたのです。

そして、自らの意思で好きな人を愛すると決めてきたのです。

そのために、自分ができることは(愛する人のために、二人のために)可能な限り実行しようと長い間歩んできたのです。

が、様々なすれ違いから、二人の関係は終わることになってしまった、としましょう。

すると、Dさんはこう思うようになったのです。

「私が決意、私が覚悟したことって、こんなにも簡単に終わってしまうものなのか」と。

だからこそ、なかなか関係の終わりから立ち直れず、長い間心のなかで終わってしまった関係を忘れられずにいた、のです。

もし、僕が今回のようなケースに出会ったなら

「Dさんがその関係からなかなか立ち上がれないのは、Dさんがしっかり決めて覚悟したからからではないか」

そう見立てるだろうと思います。

この状態、表面的に見れば執着のように見えます。

まぁ執着と言ってしまえば、過去にしがみつくことはほぼほぼ執着なので、その考え方も間違いとは言えないのでしょう。

ただ、自分で覚悟し、しっかりとその覚悟に沿って生きてきた方にとって

「自ら覚悟したことが望まない形で終わる」という現実は

執着すること以前に

「自分の存在理由やその価値の問題となって心に響くのではないか」と思うのです。

なにも、誰かに愛して欲しい、誰かがいないと生きていけない、自分が幸せじゃないのは誰かのせい、何かのせい、などと思って生きてきたわけじゃないのであれば、なおさらです。

だから僕は「Dさんはどうしたいのですか?」といった質問は、この時点ではしないでしょう。

「これからのあなた次第ですよ」「前向きに行きましょう」「自分をお責めにならないで」ともあまりお伝えすることはないと思います。

そのようなことは、Dさんご自身が十分にわかっておられるような気が僕はしてしまうのです。

それよりも先にお話し合いをさせていただくことがあるような気がしてね・・・。

「なんとかする」と覚悟しても「どうにもならないこと」と向き合ったなら

あなたがどんな思いで、どんな覚悟で、今まで生きてこられたか。

その思いを知っているのは、きっとあなた自身でしょう。

そして、もし他人が知っているならば、それはあなたのことをよく見て、よく知ろうとしている人、親しい関係にある人達なのでしょう。

そのあなたの思い、覚悟、決断には、きっと大きな価値があります。

 

ただ、もしあなたがその価値を見失ってしまうほどの出来事

それこそ、自分で「なんとかする」と覚悟しても「どうにもならないこと」と向き合ったならば。

まずは素直な今のお気持ちを、聞かせていただければな、と僕は心から願っています。

それはどんなことでもいいんです。

今、自分を情けなく思うことでもいいし、自分に失望してしまっているお気持ちでもいいんです。

どうしても自分や(起きた現実)が受け入れられないし許せないという気持ちでもいいですし、これからどうしたらいいかわからない、そんな苦しさでもいいんです。

まずその素直なお気持ちを吐き出す場所を探していただければな、と思うのです。

そして、たった一人で、今までの起きた出来事、自分の意思や決断を封印するように心を閉ざすより、もう一度心を開いて、もう一度、勇気ある決断や覚悟ができるあなたに戻っていただければいいのかな、と思うのです。

なぜならば、あなたが向き合った現実がどれだけシビアでも、あなたの決断、覚悟にはきっと価値も意味もあったのでしょうから。

それを取り戻すためのプロセス、まさに心の整理、癒やしを、進めていっていただきたいなと僕は願っています。

最後に大切なことだけ繰り返しますね。

もし、あなたが抱えた大きな傷み、迷い、苦しみ、そして自分への疑いがあったなら

それこそが「決断し、覚悟した者しか感じないもの」かもしれませんよ。

覚悟なき決断に、迷いも不安も痛みは伴わない。

僕たちは人生をかけるような決断をしようとするからこそ、それを決めるまで迷い、そして決断したからこその不安を感じ、覚悟するから失敗をどこかで怖れるのかもしれません。

もしそうであるならば、またあなたが「あの決断、覚悟を大切にできる日」が来るといいですよね。

そしてあなたがその経験から学びを深め、もう一度「自信」を取り戻して、更にしなやかに強いあなたでいられるようになれるといいですよね。

むしろ、丁寧に自分を癒やして見つめなおしていけば、きっとそうなれる。

だから大丈夫なんです。

そして僕はこのようなお話を伺うとき、

「あなたがもう一度あなたを取り戻せますように」

そう願っていたりするのです。(・・・普段は全くそうは見えませんけどね(^^;)

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