浅野先生への質問です。
こんにちは。
早速ですが、質問です。
私は、考えてアイディアや答えを出さないといけない時、一人じゃないと焦ってしまい何もかも浮かばなくなります。
特に10分以内に答えを出しなさい(時間制限)。とか…。モニターを覗かれるとか(監視)
また、それに対してご意見を頂くとかなりムカつく時もあれば、本当に失恋かのごとく傷つきまくります。(それはもう本当に剣で心臓刺されたのか?と思うぐらい痛いです。)
そして、終わった後絶望感が襲ってきて「死にたい」とか「もうだめだ」とかお先真っ暗になります。思い出しては「あ!って声が出たり、泣いたり…」
現在はありませんが、昔はそうことが原因で自傷行為も多々ありました。
あまりにもひどくて、仕事も趣味ですらもしんどくなる事があります。
どうしてこんなことになるのでしょうか?
また、どうしたら改善されるのでしょうか…これ以外にも原因がありますが仕事も続かなくて困っています。
ご回答よろしくお願いします。
ネタ募集ネーム:A3さん
大変おまたせしましたm(_ _)m
今日はA3さんから送っていただいたご質問にお答えしますね。
今回のご質問は
「私は、考えてアイディアや答えを出さないといけない時、一人じゃないと焦ってしまい何もかも浮かばなくなります。」
という部分と
「また、それに対してご意見を頂くとかなりムカつく時もあれば、本当に失恋かのごとく傷つきまくります。」
という部分がポイントになるのかな、と思っています。
では僕なりにお答えしたいと思います。よろしければどうぞ。
一人じゃないと焦ってしまい何もかも浮かばなくなる理由を考える
今回のご質問、実は個人的に共感できるお話だったので、じっくり読んでいたのですけども。
この手の反応ってある意味「条件付けられているもの」だと思うのです。
「ある特定の状況になる」と『何かしらの条件付けによって生じる反応」が生じる。
それに伴って「感情(情動)が生じる」。
その感情(情動)を受け止めきれないときに、自分を責める場合もあれば、ものすごく自分を恥ずかしく感じてしまうのではないか。
そんな風に僕は読み取ったんですね。
ただし、その条件付が何なのかまでは今回のご質問の内容ではお伝えすることは難しいんですけども。
つまり、人の目に監視されている、自分の意見を求められているといった状況になると、途端に緊張するという反応が出る。
その結果、冷静に物事を考えられなかったり、他者の目を脅威に感じてそこから逃れたくなる。
これはあくまで一例でしかありませんが、もしかするとこのような反応が出やすいのかもしれませんね。
人の目が気になる・自分の意見を批判されると凹む理由
また、いわゆる「人の目が気になる・自分の意見を批判されると凹む」という事実(反応)って
- 自分を責めている(自分がダメなんだという評価を下している)
- 他者にとって自分の意見には価値がないんだと感じてショックを受けている
- そんな自分を恥じている
このような状態のときに起きるんだと思うんですね。
その根っこ、というか、更に深いレベルの観念を探るとしたら
「自分(という存在やその言動)は、誰かにとって良いものではないことが辛い」
なんて観念が存在している場合もあるんです。
このような「誰かにとって価値のない自分」という自己否定感って、なかなか受け止めきれないんですよ。
いくら自分で受け止めたり、自分を励ましたところで「誰かにとって価値がないことには変わりはない」という観念は覆りませんからね。
覆るとしたら「誰かにとって価値がある自分」を感じたときだけ、ってことになりますから。
だから、自分の考え、アイデア、言動などが他人の目にさらされると
「本当に私、大丈夫?」
なんてふうに感じて、めちゃめちゃ緊張したり、苦しい気持ちになっても不思議ではないんです。
ときには「自分の考えなどを知られたくない」とさえ感じる場合のありえるのではないか、と思います。
要は、自分の評価の基準が他者になり、その他者にとって自分はどのような存在なのか、を気にしすぎているような状態なのかもしれません。
だから、自分で自分の気持ちを決めることすら難しくなり、他者の目が脅威になるんですよね。
これがパターン化すると、人に見られている、人が監視している状況自体が、強い嫌悪刺激になってしまって、そこから逃れたいとか、その状況に耐えることで精一杯なんて風に感じるかもしれません。
もちろん、人は人の意見で傷つくし、人の評価で気持ちが揺れることもあると思うのですが、それが日常での困り事になっていないなら、いちいち問題にする必要はないのかもしれません。
もし、その反応がちょっと強めに出て、毎日がしんどい、生きづらいとお感じなら、少し自分の反応について見つめてみてもいいかもしれませんね。
ただ、今回のご質問だけで「なぜそんな反応が出るのか」まで読み取れるわけではないのです。
ただ、あくまで僕の経験上の話として、このような場合が多い、ということでしかないという点はご理解いただきたいと思います。
もし「自分は誰かにとって良いものではないことが辛い」と感じるならば
さて、ここからは僕が書いた話が前提で、という仮説だと思ってください。
もしあなたが「自分(という存在やその言動)は、誰かにとって良いものではないことが辛い」という思いが強いとしたら
もしかすると、あなたが現実の中でどれだけ誰かの役に立っていたとしても、自分の価値や実力、魅力を受け取ることが難しくなるかもしれません。
なぜなら、この手の恐れは「一回失敗したら意味がない」といった完璧さを伴う観念であることが少なくないからです。
例えば
「今がうまくいっていても、将来うまくいかないなら今の現実に価値がない」
「今、誰かに愛されたり、誰かに望まれていても、いつか誰かに必要とされなくなるのであれば、喜んだって仕方がないし、安心している場合じゃない」
そんな風に感じやすくなるわけですよ。
これは自分が「いつか、どこかで、誰かにとって、価値のない存在になってしまうこと」への恐れなんです。
自分がそうなってしまうことだけは絶対に嫌だ、と思うなにか事情があるといいますかね。
これが今回のお悩みの根っこに転がっている可能性も否定できないのかな、と思います。
このような思いがドンドンと拡大解釈されていくと、社会生活の中で
『人や社会の中で生き抜くために誰かにとって価値のある自分であらねばならない』
なんて思い込むようになる場合もありえるのでしょう。
これを平たく言い換えれば
「自分が自分でいるだけではうまく生きられない」と感じている
と言えるかもしれません。
そして、これはあくまで可能性でしかないですが、過去にそう感じるに至るようなな出来事があったのかもしれません。
*
もし、このようにお感じになっているのであれば
自分が自分として生きられるように、自分の観念(思い込み)などに注目してみてもいいかもしれませんね。
この思い込みが作り上げるストーリーはかなりシビアなものになりやすいんです。
特に「人を恐れとして(敵のように)感じる」という意味で、しんどい観念を作りやすいんです。
が、このストーリーを作り上げたのは、たしかに自分です。
そうせざるを得ない事情はもちろんあるのですけどね。
だから、実際に「見られてる」と感じるときに、あえて周囲の人と意見交換の機会や関わりを持つと、次第に
「そこまで一人できちんとしようと考えなくてもいいのかも」
なんて風に思えることも少なくないんです。
が、そもそも人の目を意識すると緊張してしまうので、現実でそのように人と関われなくなってしまうこともしばしば起こります。
そういった意味では、まず自分を見つめて理解を深めたり、緊張をほぐしたりといった気持ちの面でのケアに価値が出てくる場合もあります。
*
ちなみに実際のカウンセリングでも、『「誰か」にとっての自分の価値はいかほどか』という思いをお持ちの方と出会うことがあるんですけどね。
そんなときほど、「あなたのその悩みを誰も知らない」という状況が出来上がっている場合も少なくないんですよ。
これもまたきっつい話で、孤立感や分離感(人と自分は違う)という意識を強めるので、問題が慢性化する理由にもなります。
だから、もし自分を見つめ直してみたいというお気持ちがお有りなら
まず誰かに相談したり、自分の気持ちを知ってもらったりすることも、孤立感や分離感を和らげる意味で有効だと僕は思いますよ。
それからだと思うんですよね。
自分の心の反応について深く見つめていくのは。
誰も自分の悩みや苦しみを知らないという状況を作り上げると、余計に人の目が怖くなっちゃうのでね。
そういう意味では、この手の問題が生じる理由って、人との絆、身近な人との関係であったりする場合も少なくないんですよね。
今日は以上です。何か参考にしていただければと思います。
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